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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)6875号 判決

原告 藤田光江

被告 藤田七郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し原告と訴外亡藤田義男間の子藤田直人を引き渡せ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

原告は、訴外亡藤田義男と婚姻し、同棲中昭和二二年五月一〇日同人との間に藤田直人をもうけたが、右義男は、昭和二五年一月二〇日に死亡した。ところが、被告は、原告の意思に反して被告の肩書住所地で直人を養育し、ついで、その実姉安達はるみとはかり、山形県東置賜郡赤湯町大字赤湯四一七番地の二所在安達貞二方に居住せしめて被告の支配下に留め置き、原告が直人の引渡を求めても、応じようとしない。そこで、原告は、親権に基き、被告に対し右直人の引渡を、求めるため、本訴請求に及んだ。かように述べ、被告の主張事実に対し、次のように述べた。

(一)について。直人は、その意思に基いて山形県赤湯町に赴いたとの点は、争う。幼児は、その事実上の監護者の命に従い、いずこにでも居所を定めるのが一般で、直人の右移転も被告の指図に服従したものにほかならない。従つて、また、直人は、依然として被告の支配下に在るわけであり、被告は、その引渡義務をおうのである。

(二)について。亡義男は、昭和二一年春ころから肺部の疾患で病床にあつたこと、原告は義男の生前直人を義男かたに置いて立ち去りその際同人から金一〇、〇〇〇円を受領したこと、原告は、昭和二五年二月一四日被告を相手取り東京家庭裁判所に建物明渡、直人の引渡を求める調停を申し立てたが、昭和二五年七月二〇日これを取り下げたこと、義男と被告との身分関係に関する事実は、認めるが、その余の点は、すべて否認する。原告と北国男との間に不行跡な行為があつたとの被告の主張は、事実無根であり、また、原告が義男かたを立ち去つたのは、同人との離婚の協議が成立したことによるものでは決してなく、同人及び被告らにおいて原告の母松本はるを好まず、はるが義男かたに居住することを堅く拒んだことゝか、安達はるみが義男の死亡を見越して被告との婚姻を原告にすゝめたこと等の事情によりやむなくしたもので、右金員の受領は、当座の生活費として交付を受けたにとゞまる。かようなわけであるから、原告も亡義男も協議離婚の届書を作成したことはなく、乙第二号証の一、二は、被告らの偽造にかゝるものであり、また、乙第三号証は、原告が被告及びその兄藤田利男の術策に陥り白紙に原告の署名、押印をしたものに、被告、利男らにおいてほしいまゝにその記載のような事項を書き加えたもので、その記載内容は、原告の関知するところではない。

また、原告が右家事調停の申立を取り下げたのは、相手方である被告があくまで原告の申立の趣旨に応じなかつたため同調停の成立する見込がなかつたところ、右調停にあたつた調停委員は極力その申立の取下を原告にすゝめたから、これに従つたまでゞあり、被告のいうように、原被告間において直人の監護に関し合意が成立したことに基くものではない。

仮に、昭和二五年一月二〇日被告と義男との間に、義男は直人の監護を被告に委託する約束が成立したものとしても、その約束は共同親権者である原告を除いて結ばれたものであるから無効のものであり、仮に右約束は有効であり、その後昭和二五年七月二〇日原被告間において被告の主張するような直人の監護の委託契約が有効に成立したとしても、原告は、本訴において右各監護の委託契約につき取消の意思表示をする。およそ、親権者は、法が特別の定めをした場合に関するときは格別、その他の場合において親権の行使を制限されるべきわけはないから、一たん第三者に子の監護を委託したとしても、いつでも親権に基きその子を監護するため委託契約を取り消すことができるのである。従つて、原告は、右取消の意思表示により直人に対する監護権の行使につき、制限を受けるわけはなくなつたから、被告は、直人を原告に引き渡すべき義務がある。

(三)について。原告は、現に都内の料亭で女中をしていることは、認めるが、その余の点を否認する。原告は、昭和二五年以後同所で働いているが、かつて不身持な行状はなく、たゞ直人との同居生活を夢みて右職業に従事して来たのである。他面、直人が現在生活を営んでいる前述の安達貞二方は、いわゆる温泉場の料理屋で、酌婦を置いて接客業を営むものであるから、子の監護、教育のための環境としては極めて悪い。そうであるから、原告は、すみやかに直人を引き取るべき義務があり、本訴請求は、親権の濫用であるといわれるべき筋合のものでない。

以上のように述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、原告の主張事実中、原告は、藤田義男と婚姻し、同棲中、昭和二二年五月一〇日義男との間に藤田直人をもうけたこと、その後被告は、肩書住所地で直人を養育し、ついで、直人は、山形県東置賜郡赤湯町に居住していることは、認めるが、その余の事実は争う。

被告は、原告に対し右直人を引き渡すべき義務はない。すなわち、

(一)  直人は、既に右場所に居を定め、被告の支配下を離脱しているのであり、また、同人は、なにびとからも強制を受けることなく、その意思に基いて右居所に移転し、現在同所から通学して平穏な生活を営んでいるのである。従つて、被告は、直人の意思に反して同人を抑留しているわけではないから、その引渡義務をおわない。

(二)  被告が直人を監護しているのは、次のような事情に基く、亡義男は、昭和二一年春ころから肺部の疾患で病床にあつたが、原告は義男に対して極めて冷淡で、直人の出生後もその態度が改められず、しかも昭和二四年一月下旬ころ義男かたに間借していた北国男との間に不行跡な行為があつたので、同年八月一四日ころ義男は原告に対して離婚を求め、原告もこれを承諾したのであつたが、その際、原告義男間に右直人の親権者は義男と定め、義男が直人の監護、教育にあたる旨の協議が成立した。そうして、原告は、直人を義男に託して義男かたを立ち去つたが、義男は昭和二五年一月二〇日その死亡の直前所有家屋の管理と直人の将来の監護、教育とを実弟である被告に委託し、被告はこれら一切を承諾した。原告は、義男かたを去るにあたり手切金として金一〇、〇〇〇円を受領したほどで、これによつても直人の監護を義男に委託するにつき原告に異議はなかつたことは明らかであり、その後原告は義男との協議離婚の届書(乙第二号証の一、二)に署名、押印して義男に交付し、義男もこれを作成したのであつたが、右届書に不備の点があつたゝめ、届出がなされずに経過したうち、義男は前記のように死亡したので、被告は原告と協議した結果「(一)原告は亡義男の遺産につき有する相続分を放棄すること、(二)原告は直人に対する親権及び財産管理権を放棄すること。」という約束が成立した。(乙第三号証)しかるに、右約束をくつがえし、昭和二五年二月一四日被告を相手取り東京家庭裁判所に亡義男の遺産である建物並びに直人の引渡を求める調停を申し立て、数回にわたりその調停が試みられ、当事者双方が協議した結果、直人の監護、教育、右建物の管理は、被告が行い、原告は被告の行う監護に協力する旨の合意が成立し、ついで右調停の申立は示談成立の理由に基づいて同年七月二〇日取り下げられたのである。

かようなわけで、被告は、まず義男との間に結ばれた直人の監護の委託契約に基き直人を監護しているのであり、仮にこれが法律上無効のものであるとしても、昭和二五年二月一四日原、被告間で結ばれた直人の監護の委託契約に基きその監護権取得したから、原告の親権に基く監護権の行使はその限りで制限を受けるべきである。

(三)  原告の本件引渡の請求は親権の濫用である。原告は、前段で述べたように義男と離別した後は、都内各所の料亭で女中をしているのである。従つてその環境は、直人の幸福をはかるに決して適切なものではなく、被告に監護を継続せしめるのが最も同人の幸福に適合するのであり、かような事情のもとで、あえて、直人の引渡を求める原告の本訴請求は、親権の濫用であるから失当である。

以上のように述べた。〈立証省略〉

理由

原告は、藤田義男と婚姻し、同棲中、昭和二二年五月一〇日同人との間に藤田直人をもうけたが、義男は、昭和二五年一月二〇日死亡したこと、その後直人は被告の肩書住所地で被告から養育を受けたが、現在山形県東置賜郡赤湯町に居住していることは、当事者間に争がない。

ところで、公文書(戸籍簿の謄本)であつて、真正に成立したものと認める甲第一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一号証、証人井上四郎の証言及び被告本人尋問(第一回)により真正に成立したものと認める乙第二号証の一、二、成立に争のない乙第四、五号証に証人鈴木静男、安達はるみ、井上四郎の各証言、原、被告本人尋問の各結果(たゞし、原告本人尋問の結果中、後記信用しない部分を除く。)弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。原告は、昭和二二年六月一二日義男と婚姻したのであつたが、義男は、それ以前から胸部の疾患にかゝり、その病臥中、原告は、同居人北国男との間に貞操を疑わしめるような行為があつたため、義男は原告に離婚を求め、昭和二四年八月ころ右両名は協議のうえ、事実上離婚することとし、その際両名間の子直人は義男のもとで養育することゝ定められ、原告は直人を置いて義男と離別した。ところが義男は、前に記載した日に死亡し、当時義男と同居していた被告は、義男の生前、同人から将来の養育を委託されていたので、その後も義男かた(被告肩書住所地所在のその現住家屋)に居住して被告の妻とみ子とゝもにわが子同様にして直人を養育して来たところ、原告は、昭和二五年二月一四日被告を相手取り東京家庭裁判所に対し被告居住の右家屋明渡並びに直人の引渡を求めるため家事調停を申し立て、(この調停申立の事実は、当事者間に争がない)同庁昭和二五年(イ)第三一七号家屋明渡子の引渡調停事件として係属し、調停が試みられたが、同年七月二〇日当事者間で原告は、右家屋に関しなんらの権利主張をしないこと、直人は従前どおり被告のもとで養育することゝいう和解ができ、原告は、同日右調停の申立を取下げた。しかるに、原告は、その後前言を翻して右家屋につき仮処分の申請をし(その申請の趣旨はさておく。)、また、同家屋を訴外三橋某に譲渡して、同人をしてその家屋明渡の訴を起さしめ同家屋を取得しようとはかり、他方、原告の養母松本はると相通じて、原告みづから、または、右はるが被告かたに趣き、直接間接に直人の引取を試みたので、被告は、実姉はるみ及びその他の兄弟らと協議した結果、事前に原告の直人の引取の申出を拒み、かつ、原、被告間の右の争による刺戟から直人自身を守るため、直人は前記赤湯町の安達はるみかたで養育することゝし、直人もまたこれに応じたので、昭和二八年四月同人を右赤湯町に送つたのであつた。それ以来直人は、右はるみ及びその夫安達貞二のもとで養育されており、同所は、また、義男の生存中から直人も行き来した場所で、同人としてもその環境に不満はなく、現在右赤湯町所在の小学校第二学年に在学し、平穏に生活している。以上のような事実を認めることができる。原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして信用しないし、その他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

およそ未成年の子が暴力その他の方法で違法にその身体を抑留されているとき、親権者は監護の義務を尽くすため、その子の引渡を求めることができるのであるけれども、未成年者がその意思に基き第三者のもとに留まるときは、これをもつて第三者がその未成年者を抑留しているものということができないことは、明らかであるし、また、第三者においてその未成年者が留まることを排除すべき義務はないから、その滞留を許諾することをもつて親権者の監護権の行使を妨害するものということもできない。

右認定事実に基いて考えるに、直人は安達はるみ方での環境並びに生活に満足しているのであり、直人においてその意思があつて同所に留まり養育を受けているものと認めるのが相当である。もつとも、被告本人尋問の結果によれば、被告はその養育中原告が実母である旨を知らせたことはないことが認められるのであるいは、直人において現在でも、原告が実母であり、同人との同居生活もまた可能である旨の認識を持つていないのでないかと疑えないでもないけれども、仮にそうであるとしても、前示認定事実に照らせば、右の点の認識を欠くところから直人が右はるみ方で養育を受けているものとは認められないので、かような事実をもつて右認定を動かすに足りる資料とすることはできない。してみれば、被告が安達はるみ方に居住中の直人につき、なお引渡義務をおうかどうかの点はさておき、直人に対する現在の養育は、原告の監護権の行使を妨害しているものではないといわなければならない。

従つて、被告に対し直人の引渡を求める原告の本訴請求は、その理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤令造 田中宗雄 間中彦次)

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